清水信博

2018年8月17日

労使関係

労使関係という言葉が持つ印象は、あまり良くないものとなりました。

経営を遡っていくと、15世紀いえエジプトが繁栄していた頃からかもしれませんが、当時貴族から経営は卑しい行為であるとされていました。貴族が金儲けをするなどはしたないというわけです。

そこでイタリアあたりの大地主は、領地に住む農民の中から信頼できそうな者にお金を与えて、これを使って種や肥料、人を雇って作物を育て、それを売ったら何倍かにして返せと言ったそうです。その儲けの中のいくらかをお前に渡してやるということです。

これが資本と経営の分離の始まりであったとされています。

ところが経営を任せたのはいいが、そうそう信用できないので、どのようにお金を使って売って稼いだのか報告書を作って提出させます。これが対外報告書。

日本でも同様で、金持ちが資金を出すから、お前経営をやってみろと言います。ところが日本はそんな大金持ちがどこにでもいるわけではないので、資金を出す者と経営を行う者は一人でやるケースが増えました。こうなると資本と経営の分離ではなく、資本と経営が一体であることが多くなりました。

最初は、大地主と奴隷のような従属関係でしたが、日本をみると、経営者も資本家ではなく、労働者の一人であるということになりました。ただ経営者意識というのは残ってるので、経営者は偉そうに振る舞いますが、経営者も資本家から見るとその他大勢の奴隷と何らかわりはありません。経営者が、どんなに威張っても大した存在ではなくなったというのが現在です。

そうなると労使関係ではなく、労労関係というのが正しいようです。ですから経営者もホウキとゾウキンを持って掃除するのも当たり前だし、社員同様利益獲得の行動をするのも当たり前という時代になりました。

アメリカなどは日本と違って、経営者の給料が新入社員の数百倍ということは許されます。ですが日本では十倍くらいまでは許せるが、それ以上になると謀反の心が動き出すそうです。

ですからアメリカの企業は昔のまま、資本と経営が見事に分離されているといって良いでしょう。

さて、日本は経営者も経営が存続していくために立ち上げって行動していく構図になりました。社長室にこもって、社員に采配を振るだけではダメだということです。

全員経営と言いますが、それは経営者がみんなと一緒になって現場の最前線で働こうという意識です。労労関係とは全員平等ということですから。

全員経営を唱える経営者は、その言葉は社員に向けてではなく、経営者に向けた言葉であると思っていただくのが正しいと思います。

ですから、ラッカープランでいつもお話している「成果配分」ですが、この成果配分はアメリカと日本では異なります。

日本は経営者も社員も同一レベルなので、成果が上がったら、全員で分け合うことが正しいのです。

これがアメリカあたりだと、成果の大半は資本家や経営陣が受け取って、社員は雀の涙ほどの報奨金で満足せよとなるでしょう。

ラッカープランも最初はアメリカから始まりました。

しかしアメリカ生まれなのですが、成果配分に対する考え方は日本企業のような全員が豊かになっていこうとするものでした。ところが日本に輸入されたら欧米式の付加価値分配率という変なものに加工されてしまいました。

ですから日本国内の有識者でも専門家でも、歴史や原点を知らないので、正しいラッカープランは知りません。

ラッカープランの根底にはY理論があるということは重要な点です。付加価値(MQ)の分配率云々は表面的なものだということはお伝えしたいと思います。