清水信博

2021年3月1日

集団について

■第一集団「優れた嗅覚」

何でもそうだが、はじめて世の中に出た時に、最も嗅覚の優れたものが飛びつく。
 
彼らはこれで会計も経営も理解できると大喜びした。

ところが嗅覚が鋭いために、しばらくすると、別のものに飛びついていく。

これが第一集団の特長であって、探すという行為はすぐれているが、理解という点については深く学ぶ前に目移りする傾向がある。

私は先生のご自宅に伺って書斎で懇談をした時のことをよく覚えている。

壁に洗濯板を三枚ほど渡して、これでもかと書籍が並んでいた。

今にも折れそうな板だった。


 
これほど学んでいるのかと驚くとともに、まだまだ自分は学び足りないと痛感した。

いまも、MGもTOCもラッカープランも分かったとは言えない。
 
ましてや経営も会計も入り口に立った程度だと思っているのは、
 
あの書物の量を覚えているからだ。

         ◆

ごく稀に、1.5集団というものもある。
 
発見して、ずっと継続してという人間がいる。
 
こうした人は「執念の人」である。

■第二集団「継続」

第二集団は、第一集団の残したものを何とか次につなげようとする。

彼らは懸命に仲間を集めて学び合いのネットワークをつくる。
 
継続とは彼らのためにあるような言葉だ。

しかし世の中は、次々と目新しいものが出てくる。
 
その中での努力は大変なものがある。
 
やがて第一集団も、一時寄港のように立ち寄ることもあるが、その優れた嗅覚がゆえに去っていくことがある。

■第三集団「育成」

第三集団は世代交代をめざす集団となる。
 

彼らにとっては、すべてが目新しく、面白いものと映る。
 
彼らは、より深く学ぶことで、ゲーム感覚だけでなく、かといって学者とはならないが本質に迫ろうと努力をする。

こうして第一集団と第二集団は、第三集団を育てるために行動をしてきたということに気づく。


 
決して第三集団の上に君臨しようとしてやってきたのではない。
 
教えをたれようとして学んできたのでもない。

後ろは向かないほうがいい。
 
まだ何も分かったとは言えないのだから。