TOCにも、いろいろありまして

TOC理論もDBRがあれば、思考プロセスも教育もプロジェクト管理といろいろな分野に広がりました。 2001年私がTOC理論を知った時からみれば、じつに多岐にわたるようになりました。 その中で私がやっているものはTOC理論とMGを組み合わせたものです。 私は他はやりません。 その理由は、他のTOC理論は、それを得意とする人がやれば良いので、あえて私がやる必要がないからです。 逆をいえば、MGと組み合わせたTOC理論に関しては私しかやれないものでした。 当時、MQ会計やマトリックス会計、原価計算、キャッシュフローなどの正式な企業会計とTOC理論を結びつけることは、MG・TOCの双方にとって最も重要な課題でした。 MGは実務でやるとなると、製造業の方にはとっつきにくく、TOCは逆にサービス業の方がとっつきにくいものでした。ですから相互補完関係を創り、橋をかければ互いに良くなるだろうとの思いで開発を始めたのです。このあたりは、TOCシニアで開発の経緯や方向性でお話していますが。 ですからMGでも、TOCでも、どちらから入っても良いし、どちらに抜けていっても構わない、そういう車の両輪のようなものを狙って創ったわけです。 もし私が、MGとTOCの「架け橋」一点に絞って開発をしなければ今日のようにTOCインストラクターが目覚ましい活躍をすることもなかったはずです。 また、TOCだけやってMGはやらないという人が出たでしょう。 MGもTOCも違和感なく相互乗り入れできる。 これは本当に大事なことです。

決して首を切らない会社は倒産する

決して首を切らないという方針を貫く会社は倒産へと向かっていく。 もちろんリストラはやらないほうがいいに決まっている。 だが、暴力をふるっても、パワハラやセクハラがあっても、部下が納得する処置をせずに放置している会社(経営者)は、やがて組織は崩壊していく。 なぜならば、末端の社員達はその不平等と理不尽さにヤル気を無くすからだ。 正義を貫くためには、決して不正を許してはならない。 経営者は安易な優しさが命取りになることを知るべきである。 安易な優しさの原因は、経営者自身の「生命力が弱い」からである。 不正を行う者の生命力に負けたら経営者ではない。

双方好都合

今朝のNHKで、患者と医師がTV電話で会話するシーンがありました。 これならば、お互いが時間を奪われず状況把握もできるし、薬も頼める。 お互いに都合が良い。 そこで浮かんだのが、双方好都合。 双方向都合が良いでもいいですが。 グーグルカレンダーを公開するようになって、情報をオープンにするとこんなにも楽なのかということが分かったのが十数年前。それまでは手帳やマイツールで印刷した予定表を持ち歩いていました。 ですが、それは結局は情報がクローズされていて、打合せ時間もかかる非効率なものでした。 それがホームページにカレンダーを公開した途端に、お客様も楽、こちらも楽と一変。 情報のオープン化を阻んでいたのは、心理的なものでしかなかったこともわかりました。 ともかく、「双方好都合」というのが時代のキーワード。

労使関係

労使関係という言葉が持つ印象は、あまり良くないものとなりました。 経営を遡っていくと、15世紀いえエジプトが繁栄していた頃からかもしれませんが、当時貴族から経営は卑しい行為であるとされていました。貴族が金儲けをするなどはしたないというわけです。 そこでイタリアあたりの大地主は、領地に住む農民の中から信頼できそうな者にお金を与えて、これを使って種や肥料、人を雇って作物を育て、それを売ったら何倍かにして返せと言ったそうです。その儲けの中のいくらかをお前に渡してやるということです。 これが資本と経営の分離の始まりであったとされています。 ところが経営を任せたのはいいが、そうそう信用できないので、どのようにお金を使って売って稼いだのか報告書を作って提出させます。これが対外報告書。 日本でも同様で、金持ちが資金を出すから、お前経営をやってみろと言います。ところが日本はそんな大金持ちがどこにでもいるわけではないので、資金を出す者と経営を行う者は一人でやるケースが増えました。こうなると資本と経営の分離ではなく、資本と経営が一体であることが多くなりました。 最初は、大地主と奴隷のような従属関係でしたが、日本をみると、経営者も資本家ではなく、労働者の一人であるということになりました。ただ経営者意識というのは残ってるので、経営者は偉そうに振る舞いますが、経営者も資本家から見るとその他大勢の奴隷と何らかわりはありません。経営者が、どんなに威張っても大した存在ではなくなったというのが現在です。 そうなると労使関係ではなく、労労関係というのが正しいようです。ですから経営者もホウキとゾウキンを持って掃除す

研究開発は利便性追求ではない

二十代の頃、一貫生産加工方式の治具工具、スケールなどを作った時は一気に生産性を十倍に高めた。その生産システムはデジタル化前夜までの20年間に渡って活躍した。 また、新商品開発は15年間主役商品として粗利獲得に貢献。 TOC研修は、開発後すでに17年経っている。 最長のものは35年になった。 私が開発すると、ロングライフ(長寿命)になる傾向がある。 当時の同僚も研究開発をするが、たいてい短命で終わる。 なぜだろうかと考えてみると、私は「これは、おかしい。違うんじゃないだろうか?」というのが先にきて開発を進めるからだと思う。 何か目新しいものを作ろうと開発に挑む人は多いけれども、私は「この業界はこう言ってるけれど、もっと広い外界から見たら、そうは言えないんじゃないだろうか」と思ったものを手がけてきた。 もしくは、「なぜ、これが正しいといえるのか?」と疑問に思ったものを形にしてきた。 ただ単に反対を唱えれば、研究開発が進むという人もいるが、研究開発はそう簡単なことではない。自分自身が納得がいかないという個人的な疑問が研究開発のバネになっていた。 最初から良いものを作ろうとも思わない。 また利便性の追求も考えてはいない。 利便性の追求は改善屋にまかせておけば良いからだ。 研究開発が、短命であるか長命であるかは、根本的な疑問から発しているかどうかだ。それを観察眼と呼ぶ人もいるが、私は誰もがもっている「なぜ?」という疑問を大事にすることだと思っている。

P/LよりもB/SよりもC/Fよりも

P/L損益計算書 B/S貸借対照表 C/Fキャッシュフロー計算書 ------------------------ なぜ懸命に売上を上げて、原価や固定費を下げて、効率化を図っても楽にならないのか。 決算書が読めない時代は売上だけが唯一の指標だった。ところが売上至上主義は忙しいばかりでちっとも儲からない(楽にならない)。 そこで会計を勉強してP/Lの粗利を指標にしたが、それでも儲からない。通信簿の成績はBなのに現金がたまっていかない。 そこで何年もかけて、今度はB/Sを勉強する。 それでも儲からない。 ではということで、C/Fを勉強するが、それも儲かるとはいえない。 このように次々と勉強をすれば、きっと儲かるはずだと思っていたのが、忙しくなるばかりで、金庫のお金はちっとも増えていかない。そういう会社は多いのではないだろうか。 結論からいえば、「やっていることが多すぎる」から手からキャッシュが漏れていくのです。 アレもコレもと食指を伸ばし、きっとどれか商売に結びつくだろうと思っているのだが、どれも食いつかないか、高い道具と餌で雑魚しか釣れない。 中小零細企業は、限られた資源、いえ極小の資源しかないことをまずもって認識すべきである。 ほとんど無いという資源を、あっちにもこっちにも分散すれば効果が出ないことは当たり前のこと。 それを会計を学ぶことで儲かるというのは、神頼み、人頼りでしかない。 私は二十年前に独立した時は、いくつもあったプログラムをすべて捨てて、二つに絞った。ふたつでもその奥行は広く、一生かかっても到底到達することはできないものだった。 それをいくつもいくつも手を広げると

人を観る時

私は人を観る時は、その配偶者、子供、縁者などを見ることにしてます。 本人はいくら素晴らしい人間であるとしても、家族や友人を見れば、言行一致か言行不一致かは、だいたい分かるものです。 眼の前の事だけをみていると、案外真実は見えないものです。

「始める勇気」と「やめる勇気」

メリハリという言葉を調べてみた。 日本の伝統的な音に関する用語。「める」は「めいる」「ゆるむ」の意、「はる」は「張る」の意味からきており、音を低めまたは弱めに発したり、高めまたは強めに発する技術。歌舞伎(かぶき)では、とくに台詞(せりふ)の言い回し方の強弱・高低・伸縮などの技術をさす。 つまり、緩急をつけるということのようです。 何事も、「始まり」があれば「終わり」があります。 その中間には「やること」があります。 StartとDoとStop その中で最も大事なものは、最後のSTOPで、 人は何事かを始めるのに急いでやる人、慎重にスタートを切る人、なかなか腰を上げない人がいます。 そして実行段階になっても急ぐ人、ゆっくりの人、まるで進まない人がいます。 最後のSTOPが一番大事だと言ったのは、 たった一つのStart-Do-Stopではないからです。 計画やプロジェクト、製造でも何でもそうですが、たったひとつの事で終わるはずがありません。 プロジェクトも「次から次へと」押し寄せてきます。 ですから、いまやっている事はいつか決着をつけなければなりません。 そうしないと、これからやる仕事が山のように堆積するからです。 すべての仕事が完璧に終わるとは思えません。 すべての仕事が成果に結びつくとも思えません。 私は成果に結びついて、スムースに終える仕事は1割にも満たないだろうと思っています。 ですから、ほとんどの仕事は見切るという意味で止める勇気が必要です。つまり「廃棄」です。 そうしないと最も貴重な資源である「人」を酷使するだけという悲しい結果になってしまいます。 一日の仕事も、定時

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