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  • 執筆者の写真清水信博

男性中心のマネジメント理論は終わる


これまでの経営理論の登場人物は男性ばかりでした。 歴史上の著名人も同様でした。


ところが、ここ最近、フォレット、ナイチンゲール、イーガー博士、レイチェル・カーソンなどを読んでいてふと気づきました。


それは、男性的経営は力強いかもしれませんが、男臭いし、どこか権力の臭いがします。そして平等という声もうつろに聞こえます。たぶん、私が抱いたマネジメントの違和感はこれだったのかもしれません。


ですから、マネジメントの世界に女性がもっと入ってくると変わるのではないか。それは女性経営者が増えたらということではなく、マネジメント理論そのものを変えていくために。

それが何であるかは分かりませんが、次のようなポイントがあるような気がします。



■しなやかさ  豪雪では大木も倒れるが、青竹のような柔軟さ、バネのような「しなやかさ」が経営には求められる。



■美しさ  力づくで押し通す経営や、軍隊式経営には美しさの欠片もない。よく言われる「Plan-Do-See」についても、違った角度からの美しさが求められる。サービスもお仕着せや型にはまっただけでは美しさはない。



■平等  これまではどのように言おうと、どこかに上下関係や、命令に対する服従が見え隠れしていた。それをベールで隠して見えないようにしていた。事業承継にしても能力よりも家が重視されてきた。男女差別は消えたように見えるが消えてはいない。薄まっただけのこと。


マネジメント理論が男性社会向け専用だったことから、これからは女性社会いや、老若男女や自然環境も含めたものへと変えていかなければならない。

自由も与えられた舞台の上で踊るようなものから、より開かれたものへと変わっていかなければならない。


こうしたマネジメント理論の革命は、経営者の経営哲学を変えていくというところにかかっている。


新時代の経営哲学や経営理念は、人間主義のマネジメントであり、これまでの延長線上にはないかもしれないということも考えておく必要はある。

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