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粗すぎても、細かすぎても

  • 執筆者の写真: 清水信博
    清水信博
  • 2020年3月18日
  • 読了時間: 2分

よく精査せず粗っぽい感覚で物事を判断する人間は、必ず精神的なものへと向かう。神聖なもの、人間というところで落ち着く。  

一方、細かすぎる人間は理科系に多い。業務フローを描かせると回路図のようなものを延々と描いて満足するタイプ。これは刻々と変化している現実の一瞬の断面図を描いているに過ぎない。  

粗すぎても、細かすぎても、うまくはいかない。 私はTOCを企業に伝える中で、うまく展開してくれた人達をみるといくつかの共通点があることに気づいた。  

それは、「大胆な発想」と「こだわらない気性」だった。  

業務フロー図を描くときは細部にこだわらず、骨組みを重視した。それはボトルネックを発見するという大目的が出発点だったからだ。そこからみれば細部の問題は枝葉でしかない。 木でいえば、根幹を見つけることが最重要課題だと知っていた。  

そして、話し合う場では、それにもこだわらず自由な意見をもとにまとめていった。 過去の慣習も、業界の常識などにもこだわらず、組織をよりよく変えていこうという信念があった。  

そして実行力があった。  

失敗した例は、会社の命令だからと何となく参加し良い話を聞いて終わるというパターンが多い。 また業務フロー図を細かく描いて満足して何もしないという例もある。研修の場では分かったようであるが、何も行動を起こさないということもある。もちろん反発もある。   

こういう会社は何をやっても変わらないどころか、世の中は常に変化しているので遅れていくだけの衰退企業となる。  

私はこういう会社を助けることはない。 私がその会社の社員ならば助けるが、やるやらないは当人の問題であって、私が助けたとしても依存心を植え付けることでしかない。自力更生をすることでその会社は一人前になっていく。  

教育とはそのものの将来まで考慮して関わっていかなければならない。過保護では育たない。突き放すだけでも育たない。

 
 
 

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