だいたい専門書は読みにくいのが相場と決まっている。
私が専門書を読むのは、それが好きだからではなく、研究の為に、どうしても読まなければならないからである。
■速く読む
どうしても短時間で理解するには、ラッセル車が豪雪を吹き飛ばすような勢いで、理解できなくても最終頁までたどり着く。
という方法をとる。
だから、ようは「読み飛ばす」のであって、最初から理解しようとは思っていないので、分からないところは飛ばしていく。
こうなると気楽なもので、パラパラと頁をめくっては読み飛ばしていくのだから、1時間もあれば最終頁に到達する。
一回、山頂を踏破すれば二回目は楽に読み飛ばせる。
ときどきキーワードが目に入るが、やはり読み飛ばしていく。
こうして何回も最終頁に到達したら、今度は「ややじっくり読んでいく」。
だいたい大事なことは最後の方に書いてあって、前段は訳のわからない事を書くのが専門書だから、後半部まで目を通すと、「あー、ここで繋がっているのか!」と、前半に繋がることが書いてあったりする。
学者は「結論から言う」ことはない。
彼らは、いつも前置きが長く、そして結論が短い人種である。
■遅く読む
ところが何となく読む専門書の場合は、ラッセル車どころか各駅停車のようなもので、少し読んでは数日停まってを繰り返す。
すると先日読んだところを覚えていないのでは?と思うかも知れないが、人間の記憶というのは大したもので、必ず記憶の底に残っているから心配は無用。
適当に読んで、休んでも、何とかなるものです。
ですが、それも再び複数回読むうちに専門書に書いてあることがボンヤリと見えてきます。
専門書だからといって一言一句漏らさず読もうとするのは間違いです。それはよく眠れる睡眠薬にはなりますが・・。
■適当で良い、しかし回数で勝負する
専門書ほど適当に読んだほうがいいものはありません。
真剣に読むほどの価値があるのは文学や歴史のほうです。
ですから読まれる方は、まず気楽に。
一回で全てを理解しようと無謀な考えを持たず、回数を重ねることで、やがては到達すると思って読み進まれるのが良いでしょう。
そして、ここだけの話ですが、専門書というのは、じつは大したことは書いてないのです。
苦労して生きた人間模様のほうが、はるかに優れたものであることのほうが多いのです。