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二百三高地

  • 執筆者の写真: 清水信博
    清水信博
  • 2018年4月25日
  • 読了時間: 3分

昨日、TVで三時間の超大作「二百三高地」をやっていたので見始めた。

大連に行った時に、日本人は入れないという二百三高地の門をすんなりと通って、山頂に行ったことがある。

そこから眺めた旅順港は、はるか遠く霞んで見えた。

大砲や機関銃、なぜかロケットまであって、看板には日本と戦ったという内容も書いてあった。もちろん日本を良く言うわけはない。

だから、三時間の映画はどうなのかと見たが、あまり得るものは無かった。結局、乃木稀典と児玉源太郎を美化したような内容に終始していた。

戦争シーンは圧巻だったものの、無能な参謀のもとで多くの人が亡くなっていくのは悲惨なものだった。

日本もロシアも同じ人間として戦争とは悲惨な事実しか産まない。

その中で私が感動したのは、牛若というヤクザが草原で乃木稀典と会ってタバコをもらうシーンだった。

牛若は「俺たちは、どうせ使い捨ての人間だから・・・」と言った言葉がとても印象的だった。その後の恋愛シーンよりも何よりも、その言葉が耳に残った。

参謀本部といえばエリート集団なのだろうが、現場には赴かず、兵隊が凍えて戦っている中、自分たちはダルマストーブで暖をとっている。そして言うのは「弾薬がないから、俺達は戦えない。司令部は海軍は何をやっているのだ」と他人批判ばかり。

ちなみに二百三高地攻略は、戦闘が始まった初期の段階で参謀長に意見具申している。だがその意見は一笑に付され消えていく。やがて正面突破も三度に渡って全滅し、最後となった時に児玉源太郎が乃木希典に二百三高地攻略を言い渡す。

企業もよく似ている。

社員が良い提案をしているにも関わらず、上層部が握りつぶす。そしていよいよ最後となると我が物顔でその提案をやるが、その手柄は上層部のものとなることがある。

じつに汚いやり方は、いまでも存在している。

こうした映画を観ると、いつも思うのは、人間は平等であって尊重されなければならないということと、現場に出ていない者や苦労をしていない者が上に立つと組織は崩壊するということだ。

そして、最初に児玉源太郎はこういった。

「この戦争は勝つことが目的ではない。うまく切り上げることが目的である」と。

ところが物語(戦争)が始まると、いつしか当初の目的は見失われ、旅順攻略=ロシアの要塞破壊=完全勝利へとすり替わってしまう。

企業も同じだ。

いつしか経営理念や方針が、全くの別物にすり替わっていることがある。

このすり替わりが、多くの兵隊(社員)の命を失わせる。

その責任は常にリーダー(社長)にある。

無能な参謀長を放置したままにした責任もリーダーにある。

兵隊(社員)に責任はない。


 
 
 

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