清水信博

2018年11月29日

高い目標の意味

高い目標は誰が考えても、それこそMGでも当たり前のことだと思います。
 

 
逆に低い目標と言ったときには、現実社会で受け入れてもらえるかどうかは疑問です。
 

 

 
誰もが当然だと思うことほど、より深く追求して、その理由を知らなければなりません。
 

 
誰もが当然だと思うことほど危険なワナはないからです。
 

 
もちろん私はドラッカーは正しいと思います。
 

 

 
ですが、例を言えば80数年前に発見されたラッカープランも、日本に入った途端に単なる労働分配率に置き換えられたしまいました。そして誰もが疑うことを知らずにここまできました。
 

 
製造業の方は全部原価計算が当然であると思いこみ、全ての意思決定の基礎として大失敗を繰り返しています。
 

 
同様に高い目標も当然であるかのように信じられていますが、その裏で残業や過労死などブラック企業は、毎年のように部下に無理難題を押し付けています。
 

 

 
私は「当たり前ではないか。当然だ。」という固定概念そのものを疑ってかからなければ、肥大化した組織と、それを補うための売上高増大、そして疎外感、労働意欲の減退などの温床を解決することはできないと思います。
 

 

 
そして企業の正しい成長と、肥大化は全く異なるものです。
 

 
そのために当然だと思い込んでいる「そのもの」をもう一度検証しなければなりません。