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  • 執筆者の写真清水信博

右手に人、左手に科学


間違ってはいないが、人生の幼少期と青年期を切り取って比較しても、

生きるということから考えると、それだけではあまり役に立たない。 同様に経営も、ある瞬間のバランスシートを比較しただけでは役立たない。 生きることも経営も常に変化している流動体だから、分かったと言った瞬間の1秒後には別物に変化しているからである。未来は予測すらつかない。 でも、これまでの生き方を眺めてみれば、「ああ、良い人生になったなぁ」と遠景を眺めるように感じる。

良いことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、すべてひっくるめてだから正確とはいえないものの実感とはそうしたボンヤリとしたものだ。この計測できない曖昧な感覚は決して間違ってはいない。

経営も似たようなところがある。 ある瞬間の数値が良かったから良い経営なのかというと、そんなことはない。良いこともあり、悪いこともあるのが当たり前だ。一喜一憂では経営の良否は測定できない。

だいたい科学などは世の中の1割も解明していないのであるから、大事であっても全てではない。 人間が持つ感覚には遠く及ばない。 科学一辺倒ではいけない。 だが科学を馬鹿にしてもいけない。

と、それらを踏まえて。 経営という変化体の一瞬一瞬に翻弄されることなく、遠目で眺めて良い会社、楽しい会社となるには、リーダーの楽観的な強い心が全てを決定づけていく。

だからといって、軍国主義のような人を虐げ、心を踏みにじる強制力は不要だ。経営は戦争ではない。 欲しいのは、春の風のような清々しいリーダーシップ力だと私は思う。 そのリーダーシップ力を科学的に説明しろといっても難しい。なにせ、こればかりは経験と実践と科学と、年齢を重ねた時にしか「感じられないもの」だから。

ともかく、誰がどう言おうが、 リーダーこそが「必ず良くなる」と固く信じることが最初であって、それはウソであって構わない。 どうせ未来はウソだから、楽観主義でいい。 経営とは、ウソを本当にしていく行動であるともいえる。


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