• 清水信博

額に汗して

バブル時代は働かなくとも株が稼いでくれた。そしてはじけた瞬間に誰もが額に汗して働くことの重要性を訴えた。やがてしばらくすると架空通貨が現れて、働かなくともAIが稼いでくれるというものが出た。こうして時代を眺めると、額に汗して儲けるときと、何もせずに懐に金がはいってくるときとが交互に訪れている。

世界大恐慌に恐れて、高度成長にうかれてというのも同じこと。

時代や環境がどうであれ、やはり儲けるためには、努力しなければ活きたお金にはならない。

よく働かずに頭を使ってという人が登場するが、いつのまにか舞台から消え去っている。ようはそんなことは長続きはしないという証明だろう。


知識社会到来と言われて十数年経つが、私は知識社会とは他人の褌で相撲をとることではないと思ってきた。全員で額に汗をかいて、考え抜いて、失敗と成功体験を重ねて、貴重な利益を生みだし続ける姿勢が好不況に左右されない体質をつくると信じてきた。


頭でっかちの組織は、じつは最も弱い組織。 それは、智慧社会ではなく、単にデータが集まっているだけ。 データが多いから良いのではなく、少ないデータを縦横無尽に活かし切るところに本当の知恵の活用がある。


いずれにしろ、またミニバブルというか、額に汗してではなく、安易なマネーゲームが広がっているのは、あまり良いことではないと私は思う。

閲覧数:28回

最新記事

すべて表示

経営者の器が大きければ それに見合った規模になればいいし、 器が小さければ 小さいままでやっていけばいい。 そういうことだと思います。 だから私はマイクロ企業のままでいくし、 それでいいと思っています。 悲劇は、 器の小さいものが大規模の舵取りを するようになったときであり、 喜劇は、 その逆のときである。

若い頃凄いと言われた人は早期熟成型。若い頃は大したことがないけれども年輪を重ねるに従って頭角を表すのが大器晩成型。 私はどちらがいいかというよりも、これはエネルギー量の問題かもしれないと思っている。 早期熟成型は若い頃エネルギーの大半を消費して活躍。 大器晩成型は省エネで過ごして、晩年エネルギーを消費して活躍ということかもしれない。 エネルギー量も「in-out-残」でいうと、使用するだけだと、ど

これまでの経営理論の登場人物は男性ばかりでした。 歴史上の著名人も同様でした。 ところが、ここ最近、フォレット、ナイチンゲール、イーガー博士、レイチェル・カーソンなどを読んでいてふと気づきました。 それは、男性的経営は力強いかもしれませんが、男臭いし、どこか権力の臭いがします。そして平等という声もうつろに聞こえます。たぶん、私が抱いたマネジメントの違和感はこれだったのかもしれません。 ですから、マ