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働く

  • 執筆者の写真: 清水信博
    清水信博
  • 3月27日
  • 読了時間: 3分

経営者になり、経営者を辞めて思ったことは、

スゴロクのようなものだということでした。


会社に勤めていくつもの仕事を経験して役職が上がり、

やがて経営者となって引退。

そのとき私は「いち社員」に戻ろうと思いました。

またスゴロクの最初から働いてみようと。


生涯現役と称して、いつまでも経営者や会長、

相談役、顧問と名を変えて報酬を得て

君臨することに私は「いさぎよさ」を感じなかったからです。


そして経営者は人生の勝利者ではありません。

ほとんどの人が経営者にならず

何度も新しい仕事に従事していきます。


そこでは真新しいチャレンジを繰り返し仕事を覚え、

喜びも生活の苦労もあります。


以前の会社で部下といつも言っていたのが

「給料の三倍は稼ごう」という合言葉でした。

本当は二倍でいいはずなのに、自分の給料だけでなく、

入社間もない人や事務職の給料分まで稼ごうと。

その心がいまもあって給料の三倍稼ごうという声が聞こえてきます。


大企業経営者の月給は数百万かもしれません。

私は経営者になっても給料の三倍の粗利(MQ)を稼がなければ、

いち人間として嘘をついているような気がします。


社長室に籠もって、マネジメントもどきを振り回して

権力と報酬は要求する。

そういう人間にはなりたくなかった。


私は日本人の良さというものは、どこかで非情な独裁者、

権力者や大富豪にはなれないという気質にあるような気がします。


経営者と働く人達の距離が、とんでもなくかけ離れていない

ということでしょうか。

家族的経営の話を聞くとホッとするのはそうしたものかもしれません。



名の通った大企業や銀行に勤めていた人が

定年退職して一般企業で働くと、

まるで待遇が違うと愕然となることがあるそうです。


しかしそれは社員として働いてきた人にとっては

当たり前のことです。

「人生、なめとんのか!」と言いたいでしょう。


いずれにしても、誰にとっても長い人生となりました。

経済も頂点を目指してその頂上が続くと思ってきました。

ですが頂上に来てみると、それが一瞬のことであり、

極楽ではなかったということがわかったのが現代だと思います。


科学技術万能主義、経済至上主義は、

私達にとってメインではなく、

行きていく上での補足的なもの、

自然と共存すべきものでした。


利便性や効率性の追求の先に幸福は存在しない

という気づきもありました。


そして人はこの問題をも解決して

よりよい道に進んでいける力があると

信じていきたいものです。

 
 
 

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